浦和のまちは、中山道が天下の五街道に指定された約400年前に歴史に登場しました。 その後、明治4年に埼玉県庁が置かれ現在に至るまで、住まいをはじめその建築の形を変えながら、 結果としてのまちの姿も変化し続けてきました。現在も大きく変貌する浦和のまちには、歴史的な 環境や近隣コミュニティ環境の劣化などの課題がありますが、「うらわ建築塾」では過去・現在・ 未来のまちと建築の作法を学びながら、浦和のまちをより「住み心地」のよいまちにするための 市民の活動を応援していきます。
「御成婚記念埼玉会館」と女子師範学校旧校舎鳳翔閣(後ろ)および昭和初期の周辺のまちなみ
本会は、うらわのまちをよりよく知り、より「住み心地」のよいまちにするために、市民および団体等に向けた専門家集団としての技術支援を行い、豊かな地域文化創造の一助となることを目的とします。そのため、本会は次の事業を行います。
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